烏色(うしょく)は、
柳田国男の「日本の昔話」のなかの
「梟(ふくろう)の染め屋」というお話に出てくる、
炭のような黒色。
烏(う)は、からすのことで、
染め物屋のふくろうが、
真っ白な着物を着ている洒落者のからすから
「またとないような色に」と染めを依頼される。
仕上がった着物の色は、黒。
からすは怒ったが、
白にはもどせずに今も黒いままなのだ
というお話。
黒は、どことなくミステリアスな色。
烏色に染まる夜の外出は、
昼間にない世界を見せてくれる。
数年前、博多を一人で旅したときに、
道に迷って、目的地でないビルの地下に入ってしまった。
空腹で、のども渇いて、どこか入りやすい店を…
と、探していると、和服の女将さんがカウンターで
きびきびと働く、感じのいい店を見つけて、
のれんをくぐった。
店の隅のテーブルにつくと、
「そんな隅っこおらんと、こっちこんね!」
と、カウンター席のご婦人に声をかけられた。
聞けば、アルゼンチンタンゴの練習の帰りと
いうそのご婦人は、74歳だという。
「この人、遠くから来たんだから、とっておき出して!」
と、ご婦人のリクエストで、
女将さんが秘蔵のお酒を注いでくれた。
思いがけない歓待を受け、心はほどけた。
しばらくすると、店は満席。
ご婦人と私だけ、異空間にいるように
二人だけ静かに語り合っていて、
気がつけば、ご婦人の
来し方について話を聞いていた。
ごく普通の事務員だった二十歳のときに、
老舗の跡取りに見初められ、
生まれて初めてのパーティーや、プレゼント。
ご近所もご本人も
驚くほど派手な結婚の支度や儀式。
そして、嫁いだあとの
老舗の若女将ならではの
数々の苦労。
おそらく、無垢で、純粋で、真っ白だった
その人は、結婚して、さまざまな感情や
出来事にもまれて、逃げ出したくなるような
つらい日が、たくさんあったのだろう。
からすに喩えては失礼ではあるけれど、
愛情に包まれて、またとない色に染まるつもりが、
闇のような烏色を着せられてしまったような、
いっそ闇のなかに消えたいほどの想いを
日々重ねられて、ご自身の色も白から黒へ
大きな転換をはかれたのではないだろうか。
ご主人を早くに亡くされた話では
ほろりと落涙しながら
あんなに大事にしてくれたから、
ずっと主人のことを思って
天国にいくの、と。
それでも、ただ、その日を待つのではない。
「わたし、あとひとつ、どうしてもやりたいことがあるの」
と、キラリとした笑顔。
いいなぁ、と、思った。
話していくうちに、そのチャーミングさに
心惹かれていた。
若さも、飾りつけも必要としない、
内面からあふれる、「人としての魅力」。
「またとない色」とは、
他人に染めてもらうものではなく、
自分で染めるものなのだと教えられた。
それが、真っ黒であったとしても、
その中にキラキラと輝く光があれば、
光をうけて、黒さえも輝く。
最後は私もこれからの夢を語り、
「あんたもしっかりやらんね」と
励まされて、店をあとにした。
外は、真っ黒な夜。
見知らぬ街の、見知らぬ店で、名前も名乗らず別れた人たち。
せめて名前だけでも聞きに引き返そうとして、やめた。
同じ店を訪れても、
「そんな人はいませんでしたよ」と言われそうで。
もしかしたら、もう店ごと存在していないかもしれない…
そんな気がしたから。
夜の街はミステリアス。
あったこともなかったことにして、
全て闇の中に消えてしまう気がする。
ただ、夢であれ、現実であれ、
感じたことや想いは、ずっと胸のなかに残る。